G7各国の首脳が揃って原爆資料館を訪問した2023年5月19日(金)は、歴史的な日となりましたね。
(出典:毎日新聞 「献花を終え、岸田文雄首相(左から3人目)の背中に手を当てるマクロン仏大統領=広島市中区で2023年5月19日午後0時6分」)
各国首脳と被爆者のかたの面会がついに実現! どんな対話があったのか。
G7広島サミットの初日である5月19日、各国首脳が原爆資料館を視察し、その時に、被爆者のかたと、各国首脳の面会がかないました。本当に、歴史的に貴重な機会になりました。
首脳陣と面会したのは、被爆者であり、自らの被爆体験を英語で発信する活動をしている小倉桂子さん。
https://twitter.com/nhk_hiroshima/status/1659551098573660161
館内の様子は非公開。面会では、何が話されていたのでしょう?
マスメディアの取材では、小倉桂子さんは、各国首脳からの質問については「内容は言えない」とのことでしたが、小倉さんが何を伝えたか、については、小倉さんへの取材から分かってきました。
「みなさんが入ってこられたら、思わず『Welcome to Hiroshima』と言いました」
小倉さんは、各国の首脳に対して被爆体験を英語で証言しました。
「海外から来た人は原爆投下の瞬間について知りたいと思い、ぴかっと光ったとき、真っ白で何もみえない、爆風で立ってられず、地面にたたきつけられたということを伝えました。そのとき見たもの、心で感じたことをそのまま語りました」
話を聞いた各国首脳の様子については。
「興味を持って聞いてもらい、かなり長く話をさせてもらいました。内容は言えませんが、質問もたくさんしてもらいました」「長い間感じてきた被爆者の心の中の葛藤、そして目に見えない傷、トラウマとか悲しみとか人に言えない秘密とか、私の目を心を通して追体験してくださいと申し上げました。
次に進むためにはどうすることができるのか十分討議をしていただいて、外交の力でできるだけ早く戦争をやめてほしい。広島から一歩を踏み出す宣言を世界にぜひともお願いしたいと思います。少なくとも被爆者が生きているあいだに」
出典:NHK NEWS WEB 2023.5.19 より
小倉さんが伝えたことは、2つあるそうです。
1つは小倉さんご自身の被爆体験。もう1つは、佐々木禎子さんのお話しでした。
小倉さんの体験と、佐々木禎子さんの体験とを重ね合わせて話すことで、核兵器の持つ放射能の脅威というものを伝えたいと思ったそうです。
小倉さんは、佐々木禎子さんのお母さんやおばさんとも、親交があったそうです。
「こういう少女が亡くなりました」では、本当にあったこという感じはしないから、本当の話だと感じていただきたいから、「(禎子さんのお母さんは)うちの娘は千羽鶴を折ったのに、それでも亡くなったんですよ」と(話していた)。普通の人たちが悲しい目に遭って、それが今も続いているという本当のリアルな感じをお話ししたいと思いました。
出典:Yahooニュース 2023.5.19 より
それから、「核兵器って何?」と。世界中、全員が心に「核兵器はいらない」と感じないと、本当の平和は来ないと、そういうふうに思ってるんですね。核兵器はなんだか“ちょっと大きな爆弾”、“威力のある爆弾”というふうに思っている人が、たくさんまだ世界にはいらっしゃるので、核というものは何か、放射能というものは何か、未来まで続く恐怖とか、そういうものを伝えたいと思って、それに焦点を当ててお話ししました。
私は自分がどういうふうにして被爆したかと、その現状をお話ししたんですけれども、私の話を通して、「自分はその時、広島にいた」というような感じになっていただきたいと思いました。ピカッと光って、それからどうなって、どういうふうに原爆が落ちたか、時間がたつとどうなるかということを、皆さん、私と同じように感じていただきたいと。
何分くらい話をしたかについては、
小倉さん: 初めは4、5分で(話を終えよう)と思っていたんですけど、倍以上お話ししたと思いますね。お話をして手応えがあると思いました。
出典:Yahooニュース 2023.5.19 より
10分以上、お話し出来て、各国首脳の方々に、伝わるものがあったようです。本当に、すごいことだと思います。
各国首脳と面会した被爆者さん 小倉桂子さんについて
1937年8月4日 広島市で誕生
1945年8月6日 8歳の時に、爆心地から2.4キロの牛田町で被爆
1962年 広島平和記念資料館館長を務める小倉馨さんとご結婚
1979年 夫である馨さんと死別
1980年より、海外から広島を訪れる平和運動家、メディア、学者などの通訳やコーディネートを務める
1984年 「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」を設立
1990 年 株式会社アテンション設立(通訳・翻訳・出版)
1991年 和英ガイドブック「ヒロシマ アテンション プリーズ(Hiroshima Attention Please)」出版
2005年 広島市民賞受賞
2009年 広島ユネスコ活動奨励賞受賞
2016年 「英会話しながら広島ガイド」(和英対訳)出版
カリフォルニア州クレアモント、ポモナ大学で広島講座を行う
合衆国議会・クレアモント市から表彰される
2017年 ニューヨーク大学で、ロバート・リフトン教授とトークセッション
ニューヨーク州セラキュース大学、オハイオ州ボーリンググリーン州立大学で、広島講座を行う
2018年 マサチューセッツ工科大学、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院、ハーバード大学ケネディ行政大学院で、広島講座(対話・講演)を行う
小倉さんは、原爆資料館の館長を務めた夫・馨さんの遺志を継ごうと一念発起し、平和のためのヒロシマ通訳者グループを設立、
平和公園を訪れる外国人向けのガイド、海外からのメディア・平和運動家などの通訳、自らの被爆体験を英語で世界へ発信、アメリカの大学・大学院で講座を行うなど、幅広い活動を続けています。
ニュールンベルグの反核模擬法廷や、ニューヨークの世界核被害者会議でも、英語で被爆体験を行ったことがあるそうです。
今回のG7サミットにあたり、被害者の方々からは、各国首脳が原爆資料館を見学することと共に、被爆者の証言を聞くことを求める声が上がっていましたので、それがかなった形になりました。
アメリカにも「ヒバクシャ」はいる
小倉さんは、今年(2023年)1月のインタビューの中で、こうも伝えていました。
世界各国のヒバクシャたちが、同じ体験をした広島の人たちなら気持ちを分かってくれる。話を聞いてくれるだろうと思ってやって来るのです。
出典:ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー 2023.1.6 より
広島は、ヒバクシャの話を語る場所だと思っていましたが、世界中にいる核による被害を受けた人たちの話を聞くところでもあるのだと気づかされました。
核実験のあった場所から来た人たちの中には「核実験のせいで、生まれ故郷を捨てた、と話してくれた人もいたそうです。
アメリカでは、例えば、「Atomic veterans(全米被曝退役軍人会)」は、核実験に立ち会った兵士たちが、放射線障害に対する補償を要求し、組織されたものです。
「ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー 語り継ぐ Vol.19」より
https://interview.tsuguten.com/interview_ogura/
核実験は世界中で行われてきました。
メキシコ州、マーシャル諸島、ネバダ、アラスカ州、オーストラリアの島々、アルジェリア、ポリネシア、などの場所で、多くの国が、これらの地域で、核実験を行ってきました。
(出典:ウイキペディア「核実験の一覧」より 1946年アメリカの大戦後初の実験。マーシャル諸島で行われた。)
世界中に「ヒバクシャ」はいる。
今回のG7首脳陣と小倉さんの面会は、とても有意義なものであったと言えるでしょう。
在日コリアンの被爆者、ユン大統領と面会
広島での原爆による犠牲者15万人のうち、朝鮮半島出身者の犠牲者は3万人、実に多くの人々が犠牲になっています。
本日5月21日午前、韓国のユン・ソクヨル大統領と岸田首相が、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に参拝しました。
韓日首脳が揃って訪問するのは、初めてのことです。
(出典:연합뉴스 YONHAP NEWS 聯合ニュース 2023.5.21 より 慰霊碑に献花する尹大統領夫妻(左側)と岸田首相夫妻)
同関係者は「歴史は長い間蓄積されたもので、そこに蓄積された問題があればその問題を解決するにも相当な時間がかかる」と指摘。
出典:연합뉴스 YONHAP NEWS 聯合ニュース 2023.5.21 より
「尹政権が発足し、岸田政権と共に努力して未来志向に、実践的に、そしてもう少しスピードを出して問題を解決しようとする意志を両国政府が持っている」とし、「今後の見通しを非常に楽観的に見ようと努力している」と述べた。
在日コリアンの被爆者の方々もまた、韓国と日本の首脳との懇談の場が設けられることを望んでいました。
ユン大統領は、G7サミット出席の為に来日し、一昨日19日、在日韓国人被爆者の方々と面会しています。
その上で「皆さんが大変だった時にそばにいることができなかった。政府を代表しておわびする」と述べて、韓国としてこれまで被爆者への支援が十分でなかったと陳謝しました。
韓国大統領府によりますと、在日韓国人の被爆者と韓国の大統領が面会したのは今回が初めてだということで、出席者からは、心の傷が癒やされたと歓迎する声があったということです。
出典:NHK NEWS WEB 2023.5.20 より
今まで原爆資料館を訪れた首脳は?
今までにも、7年前の2016年に、オバマ大統領が、G7伊勢志摩サミット終了後に、広島を訪れています。
現職のアメリカ大統領としては初めてのことでした。
(出典:朝日新聞デジタル 2016.5.27 「原爆死没者慰霊碑への献花を終え、演説するオバマ米大統領(中央)と安倍首相」より)
オバマ大統領(当時)は、原爆資料館にも足を運んでいます。
オバマさんが見たものは、数点のみで、佐々木禎子さんの折り鶴20羽、原爆投下前後の市内写真のパネル、原爆犠牲者の弁当箱等だったそうです。(東京新聞 2023.5.14 より)
(原爆資料館館長の)志賀さんによると、資料館の訪問が「極めて短時間」と知らされたのは直前。
館内を回るには最低30分から1時間は必要なため、本来は何も展示していない玄関ロビーに収蔵品を急きょ、集めた。常設の展示品を運ぶのは時間的、技術的に困難で、収蔵庫から職員が運搬できる軽量で、英文が用意されているものを運んだ。そのため、被爆者の写真や被爆者の描いた絵などは置けなかった。禎子さんの折り鶴はオバマ氏の関心が高いと聞き、特別にアクリルケースを外し展示。オバマ氏はしゃがみ込んで熱心に見ていたという。その後、芳名録に記帳して資料館を後にした。
志賀さんは「オバマ氏への対応は例外中の例外。展示品はぽつんと抜き出して見せるものではなく、全体の構成の流れの中で感じてもらうもの。展示を見ていただいたとは言えず、非常に心外だった」と振り返る。
出典:東京新聞 2023.5.14 より
また志賀さんは、G7サミット開幕前、今回のG7首脳の訪問を高く評価すると仰っていました。
(志賀さんは)その上で、資料館の展示をきちんと見て「遺品の向こうにいた一人一人の人生を原爆が抹殺したこと、きのこ雲の下で何が起きていたのかを感じてほしい」と望む。
出典:東京新聞 2023.5.14 より
この広島訪問時に、オバマ大統領(当時)もまた、被爆者である坪井直さんと面会したそうです。
(出典:クローズアップ現代 2021.11.11 より)
その時の、坪井さんの言葉です。
坪井直さん
(出典:クローズアップ現代 2021.11.11 より)
「被爆者の坪井直と申します。被爆者としては、そのこと(原爆投下)は人類の間違ったことの一つ。それを乗り越えて、われわれは未来に行かにゃいけん。その(原爆投下の)事実はあったと。オバマさんがプラハで言った『核兵器のない世界』、私たちも行きますよ」
原爆を伝える仕事をしている「アメリカ人」
広島で、平和を伝える活動をしている〝アメリカ人″のかたがいます。メアリーさんの仕事は「ピースガイド」。外国から平和公園を訪れる観光客を案内する仕事です。
また、メアリーさんは、被爆者のかたと共に、オンラインで被爆体験を伝える活動もしています。
メアリーさん「俊子さんは多分、戦争中、アメリカ人は悪だと学んでいて、私のおじいちゃんおばあちゃんも、そうでした。日本人について。」「ですので76年が経って、今こういうように一緒に平和活動ができるのは、すごく奇跡だと思います。」(日本語で話されていました。)
出典:日テレニュース公式YouTubeより
「このようなことが二度と起こらないようにするために、何が出来るのか。核兵器とは直接関係なくても、私たちひとりひとりがどのようにして自分たちのコミュニティと世界に平和の文化を広げることが出来るのか」と話していました。(こちらは英語で。)(※番組の和訳です。)
メアリーさんはご自身のことを「被爆者の魂、被爆者の方のストーリーを伝える役割」と仰っていました。
まとめ
「核による被害」というと、広島・長崎から「被害者である〝日本″」がクローズアップされがちですが、
小倉さんや坪井さん、メアリーさんの活動を知ることで、気付きが沢山ありました。
「このようなことが二度と起こらないようにするために、何が出来るのか。核兵器とは直接関係なくても、私たちひとりひとりがどのようにして自分たちのコミュニティと世界に平和の文化を広げることが出来るのか」のメアリーさんのことばに、ヒントがありました。
1市民の視点から、ひとりひとりが、知ること、学ぶこと、普遍的に考えること、対話をすることが大切なのですね。
今回、各国の首脳が、原爆資料館訪問から、小倉さんの話から、何を感じ取ってくれたか。
今後の世界の動きも、私たちは注視しながら、色んな人と、対話していきたいですね。
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