ミセスの「コロンブス」MVの意図は差別ではない!風刺と、壮大なテーマを人間に問いかけた楽曲

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Mrs.GREEN APPLE 「コロンブス」のMVが大きな問題となり、公開停止になりました。

ミセスの大森さんは、決して差別や悲惨な歴史を肯定するものという意図はなかったが、我々の配慮不足だった、として謝罪しています。

MVの問題点については、多くの人が指摘しています。しかし大森さんたち制作チームの、その「意図」については、あまりニュースで語られることはありません。

この記事では、「コロンブス」のMVは元々はこういう意図で作成されたという部分について、考察していきたいと思います。そしてそれは「差別肯定」ではなく、むしろその逆でした!

目次

ミセスの「コロンブス」どんな歌?

「コロンブス」、先ずは、今一度、聴いてみたいと思います。

MVが削除されて見れないのは、皆さんご存知のことと思いますが、歌は聴けます!

『コロンブス』の歌詞全文は、こちら

ミセスの『コロンブス』歌詞の考察

『コロンブス』は、2024年6月12日にリリースされたミセスの11作目のシングルです。作詞作曲は、大森元貴さん。

ではさっそく、歌の内容を考察していきたいと思います。(歌詞は、一部抜粋です。)

※あくまでも、筆者の考察ですので、ご了承くださいませ。
もちろん、歌の解釈は、人それぞれあって良いと思います。

帝国主義への批判

歌をお聴きになった方は、お気づきになった方もいらっしゃるのではないでしょうか?

はい、歌は、コロンブスたちの生きた時代において はびこっていた「帝国主義」を批判的にとらえています。

(そして、MVは、歌と絶妙にリンクしています。)

歌詞のこの部分にご注目ください。

文明の進化も
歴代の大逆転も
地底の果てで聞こえる
コロンブスの高揚

GENIUS

かつて「英雄」とたたえられたコロンブス。

しかし、私たちの文明はどんどん進化している途中の旅で、歴史認識がパラダイムシフトします。

コロンブスの「高揚」というものは、今や「地底の果て」でむなしく聞こえるのみだ、と。

つまり、コロンブスを讃美しているのではなく、ポストコロニアリズムによる評価の逆転を例に挙げて、コロンブスの時代の帝国主義を批判しています。

「地底の果て」は、ギリシャ神話における「奈落」を表していると思われます。
冥界のさらに下方にあり、「極悪の重罪人が落とされる」という奈落で、その一番底から冥界の距離は、天と大地の距離と同じくらいある、とされています。

よって「地底の果て」は、地獄を表していますが、コロンブスが題材ということから「地の果て」にもかけているのかもしれません。

「地の果て」には、陸地が尽きて海に面した部分・この世のどこまでも、という意味の他に「世界の一番端」という意味もあります。

当時は、地球は平面であり、船乗りの中には「世界の一番端」に到達したら、そこから落っこちてしまうのではないか、と心配する人も多かったんです。

「地の果て」を目指したコロンブスにもかけているのかもしれません。

航海が予定より長くなった時、心配した船乗りが「あと3日で陸地が見つからなかったら引き返す」とコロンブスに迫ったこともあったのだそうです。

500万年前から現代、そして未来へ繋がる物語

筆者は、500万年前から…という、人類の歩みの壮大なストーリーにひかれていきました。

気まぐれにちょっと 寄り道をした500万年前

あの日もやっぱ君に言えなかった

GENIUS

ヒトとチンパンジーとの分岐は600万年前~500万年前頃に起きたと言われています。

僕は「君(きみ)」に、何を言えなかったのでしょうか。

人類が、過去の過ちと向き合うことの大切さ

それは、中盤に出てくる歌詞に答えがありました。

「ごめんね」それは一番難しい言
大人になる途中で僕は言えなかった

GENIUS

「大人になる途中」とは、人類が生まれてから 現代までの、長い時間を表しているのだと思います。

まだまだ、人類は、成長過程だと。

そして「ごめんね」の言葉、これは本当に、人類の繰り返してきた悲しい歴史の中でも「難しい」ことでした。

現代もなお、争いが繰り返され、過去の過ちにも向き合えていない。過去の植民地支配での罪に対して、まだ謝れていない…そんな人類は、まだまだ未熟なんですよね。

それでも平和な未来を目指して

いつか君が乗り越える寂しさの様な
平等な朝日と夜空

GENIUS

それでも、いつか乗り越えられると信じて、

誰にでも、平等な朝と夜が訪れる世界を目指していこうとしていますね。

この後、「まだまだまだ傷つけてしまう」という歌詞が出てきます。これを後悔し、自分の胸の痛み、哀しみからも教わりながら、それでも目指していこう、という人類の葛藤と前進を感じます。

地球上では、今まさに、迫害や差別が起きていて、胃が痛くなり、こころが乾いてしまいそうでも、しゃんとしていきたい、と。

あなたとの相違は
私である為の呪いで
卑屈は絶えないが
そんな自分を
本当は嫌えない

GENIUS

人は未だに、違い(国籍やルーツの違いなど)を認めないという呪いにかかっているようで、偏見や劣等感が絶えないが、人類には、素敵なところもあるから信じていこう、としているように思えます。

そのうえで 終盤、君を知りたい」という歌詞が繰り返し出てきます。

「相違」を乗り越えて、相手を理解する努力や、努力していけば 人類みんなが 手を取り合っていける、そんな時代が来るのではないか、という希望の歌だと思います。

それを、「コロンブスの船旅」にも、かけているんですよね。

“君を知りたい”
まるでそれは探検の様な

GENIUS

ほら また舟は進むんだ
出会いや別れを繰り返すんだ

GENIUS

「探検」は、支配ではなく「相互理解のために」
「船旅」は、「前に進むために」

コロンブスの時代の悲劇を2度と繰り返さないために。

この歌は、「コロンブス」という人物を通して、彼が生きた時代の「帝国主義」を批判すると共に、これは決して他人事ではなく、自分に置き換えて見つめなおすことの大切さ、自分の生きている間に、何ができるかを問いかけていると思います。

「コロンブス」という「悪者」がいたのではなく、この時代の「帝国主義」「植民地主義」が人間を「悪」に変える過程を見ていくのは、とても大事ですよね。

韻を踏んでいる所も素晴らしいので、そこも歌詞を読みながら聴いてみてください。(「愛」と「哀」とか。)

元は、コカ・コーラのタイアップ曲だったのですが、
「炭酸の創造」「乾いたココロに注がれる」「愛を飲み干したい」といった歌詞を、違和感なく相応しい箇所に、素晴らしい言葉で編み込んでいたのには、見事過ぎる!と、うなりました。

「コロンブス」MVの考察

では、どんな歌かを(筆者の考察で)紐解いてみたところで、あらためてMVを見ていきましょう。

歌詞と映像がリンクするところも良いのですが…
現在、『コロンブス』MVは観れなくなっており、リンクが貼ることができません。ご容赦くださいませ。

500万年前の類人猿との関係性の変化に注目

類人猿さんたちと、コロンブス、ナポレオン、ベートーベンらしき3人が出会った当初は、「僕たちが類人猿たちに、色々教えてあげなくちゃ」「僕たちはあなた方より上の立場なのだから、人力車で運んでくれ」と偉そうにしています。

人力車のシーン、「主従関係」を揶揄する表現だと思いますが、もしかしたら「観光案内してあげている」の可能性もあるかと思います。

馬の乗り方を類人猿さんに教えるナポレオン
(出典:「コロンブス」MV)
馬の乗り方を得意げに 類人猿さんに教えるナポレオン
(出典:「コロンブス」MV)
類人猿さんのひく人力車に乗るベートーベン (出典:「コロンブス」MV)
類人猿さんのひく人力車に乗り、意気揚々のベートーベン
(出典:「コロンブス」MV)

また、コロンブスとナポレオンも小競り合い。(コロンブスが、俺は馬が良いんだ、俺のキックボードと代われよ、と言ってるみたい。)

馬かキックボードかで小競り合いをするコロンブスとナポレオン
(出典:「コロンブス」MV)
馬かキックボードかで小競り合いをするコロンブスとナポレオン (出典:「コロンブス」MV)

最初は偉そうにしている3人ですが、この後、関係性は変化していきます。

類人猿さんたちの文明の方が進んでいた!

電球が切れちゃって、どうしよう、と困っちゃうコロンブス。未来のエジソンにお手紙を書くことを思いつきます。
「Hi、エジソン、電球を直すにはどうすればいい?」そんなシーンが出てきます。

コロンブスからエジソンへの手紙「Hi、エジソン、電球を直すにはどうすればいい?」
(出典:「コロンブス」MV)
コロンブスからエジソンへの手紙「Hi、エジソン、電球を直すにはどうすればいい?」 (出典:「コロンブス」MV)

今度は、類人猿さんが出演のドラマを、皆で鑑賞しているシーン。ここでは、3Dメガネをかけているのは、類人猿さんたちビデオデッキ(VHS)も類人猿さんたちの家にあったんですよね。

類人猿さん出演の映画を皆でビデオ鑑賞
(出典:「コロンブス」MV)
類人猿さん出演の映画を皆でビデオ鑑賞 (出典:「コロンブス」MV)

コロンブスさんは、電球が壊れて困って、未来のエジソンさんに助けを求めていたけれど、
類人猿さんたちの文明は、もっと進んでいて、もうテレビもビデオも3Dメガネもあるんです!

また、類人猿さんたちの演技も素晴らしく、ベートーベンもナポレオンもコロンブスも、映画を観て感動の涙!

この「文明が進んでいる」というシーンは「猿の惑星」のオマージュではないかと思います!

「猿の惑星」は、ピエール・ブールの小説を元にした、数々の映画シリーズ、テレビシリーズ、コミックなどのSFコンテンツ。
「知能の進んだ」猿が支配し、対して人間は「知能が低い」「下等動物」とされる、とある星が、舞台です。

ピエール・ブールは、SF小説の体裁をとりながら、人間の本質やテクノロジーへの批判を 見事に描いています。

MVには、「進んだ文明」のもとで暮らしている類人猿のみんなには、「コロンブスたちの時代の古い道具」が逆に珍しいらしい…そんな描写もありました。

今回、人力車を引いていたのが黒っぽい色をした類人猿だったため、「奴隷制」を連想させてしまいました。
様々な色の猿が登場したのは、映画「猿の惑星」の登場人物、チンパンジーのコーネリアス、ゴリラのアルドー将軍、オランウータンのヴァージル、ということだったのかもしれません。

対等な仲間として、音楽とダンスでコラボ

冒頭の「偉そうな人間たち」のシーンとは対照的に、リビングルームのシーンでは、ベートーベンがキーボード担当、ナポレオンがギター担当、コロンブスがボーカル、類人猿さんたちはダンスで楽しくコラボしています。

上下関係なく描かれており、このシーンは、繰り返し 何度も出てきます。

皆で一緒に演奏、ダンスでコラボ
(出典:「コロンブス」MV)
皆で一緒に演奏、ダンスでコラボ♪
(出典:「コロンブス」MV)
類人猿さんとベートーベンの連弾
(出典:「コロンブス」MV)
類人猿さんとベートーベンの連弾♪
(出典:「コロンブス」MV)

ラストシーンで「崩れたバベルの塔のかけら」

楽しかったパーティーの後、眠ってしまった類人猿さんたち。

3人はそっと、部屋を後にします。名残惜しそうに…。3人は、何か大切なことを学んだ様子です。

眠っている類人猿さんたち・そっと部屋を後にする3人
(出典:「コロンブス」MV)
眠っている類人猿さんたち、そっと部屋を後にする3人
(出典:「コロンブス」MV)

MVのラストシーンには、コロンブス、ベートーベン、ナポレオンの3人は、そっと部屋を出ていき、その通った後には、バベルの塔が崩れた破片が転がるばかりだった…

足元に、かけらが散らばっている
(出典:「コロンブス」MV)
立ち去る足元に、何かが散らばっている
(出典:「コロンブス」MV)
そこには、バベルの塔が崩れたかけらが…
(出典:「コロンブス」MV)
そこには、「バベルの塔」が崩れたかけらが…
(出典:「コロンブス」MV)

バベルの塔とは、旧約聖書の「創世記」に登場する塔です。
古代バビロンの王が、権力誇示の為にバベルの塔を建て始めましたが、それを見ていた神は、人間の傲慢さに怒り、人間が意思疎通できぬようにしてしまいます。人間はバビロンの地から離れ去ってしまい、塔は完成しませんでした。
このため、「神の領域まで手を伸ばす塔を建設しようとして、神に破壊された」との故事として有名です。

神話とする説が有力ですが、現在のイラクに実在する「ジッグラト」と呼ばれる塔と関連付ける説もあります。

要するに、3人は「僕らは、なんて愚かだったんだろう」って気付いたんですね。

何かを教えてあげるだなんて。立場が上だなんて。なんておごり高ぶっていたんだろう。

類人猿さんたちの文明は、僕たちの時代のよりずっと進んでいた…。

一緒に映画を観て、一緒に音楽を楽しんで、ただただ「人は、対等なんだ」という、大切なことにやっと気付けた3人…

天にも届く塔を建てようとして、崩れてしまった「バベルの塔」の故事、そして歌詞に登場した「地底の果て」に落ちたコロンブス。

その奈落と冥界の距離が、天と大地の距離と同じくらいある、というのが対照的ですね。

バベルの塔に象徴されるように、人間の傲慢さ、それはいつか崩れ去るものであり、それは僕たち現代人でも未来人でも同じ。
コロンブスに限らず、全人類の普遍的な課題である。

楽曲、MVを通して、それを問いかけていますよね。

まとめ

もちろん、音楽もビデオも、聴く人・観る人の受け取り方は、自由です。

だからこそ、大森さんは、MV作成の「こちら側」からの意図の説明はせず、「受け取る側」の皆さんに対する配慮が足りなかったことだけを謝りました。

誰よりも大森さんが、音楽・映像の受け取り方は押し付けるものではなく、相手が感じるものだと知っているからだと思います。

今回多くの人が「帝国主義・植民地支配の肯定」と受け止めました。
たとえ誤解であっても、それが事実なので、大森さんはじめ制作陣の方々は、真摯に受け止め猛省しております、と、きちんと向き合っています。

一方で、ミセスさんや制作陣に対しての、「歴史を学んでいないのか」「勉強不足」という批判は違う、と思います。

歌詞を見ていただくと判る通り、むしろ学んできたからこそ、「現代もなお、差別や争いが続いていること」を問うています。

MVに関しては、説明せずに自由に考察するのが醍醐味ですが、今回のようなテーマを扱う場合は、MVの「意図」が万人に解かりやすい構成にしてあれば、誤解も起きなかったと思います。
…という筆者の言葉だって、「コロンブスの卵」の逸話と同じ。「言うはたやすい」です。
今回のことは、誰にでも起こりうることなんですよね。

筆者も同様に、普段、「自分が気付いていない差別」の表現を無意識のうちにしてはいまいか。ということを、見つめ直す、良い機会となっています。

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