イオンシネマと車椅子ユーザーの件、問題点と解決策は?

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今回の「イオンシネマで起きた問題」に限らず、マイノリティが発信する時にいつもSNSが炎上するという現象が見られます。

いったい何が問題なのか?どうすればいいのか?

多くの人々が、その度に SNSで対立したり、誤解からのポストというものも 数多く見受けられるので、今回は、問題を整理して、お伝えしていきたいと思います。

目次

イオンシネマで、何があったのか?(経緯)

映画館 (出典:Free素材 pexels pixabay)
(画像はイメージです)(出典:Free素材 pexels pixabay)

事の発端は、映画館で起きたことでした。

車椅子ユーザーのかたが、イオンシネマに映画を観に行き、その映画館の中のグランシアタ―という劇場で映画鑑賞をしました。

映画を見終わった後に、急に支配人らしきスタッフが来て、車椅子ユーザーのお客様に、こう声をかけたといいます。

「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえると、お互いいい気分でいられると思うのですが、いいでしょうか。」

ご本人のXのポストより引用

そのお客さんは、グランシアタ―は今までに何度も利用しており、利用時に映画館スタッフに手伝ってももらっていることを、その支配人らしきスタッフに訴えますが、聞き入れられませんでした。

悲しくて、悔しくて、トイレで泣いたといいます。その後、その方がXに、映画館で起きた出来事と悲しかった思いをポストしました。

イオンシネマは、この件に対し、3月16日、正式に謝罪のコメントを出しています。

イオンシネマ公式Xより

弊社が運営するイオンシネマシタアス調布のグランシアタ―において、お客様の映画ご鑑賞後に弊社従業員がご移動のお手伝いをさせていただく際、お客様に対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました。
お客様は楽しみに当劇場にお越しいただいたにも関わらず、不適切な対応により大変不快なお思いをさせてしまいました。
弊社の従業員への指導不足によるものと猛省しております。

イオンシネマ公式Xより

イオンシネマは、文の中で、2度「お詫び申し上げます」と謝罪のうえ、スタッフの教育設備の改善を進めるとコメントしています。

今回の件を重く受け止め、イオンシネマシタアス調布を含む全てのイオンシネマにおいて、従業員のお客様対応の教育再徹底と再発防止策を講じると共に、設備の改善を進め、お客様の信頼回復に努めて参ります。

イオンシネマ公式Xより

先ずは、謝罪が出たこと、改善策を約束して下さっていること、イオンシネマのこの対応は評価出来ると思います。

なお、入場拒否を受けた車椅子ユーザーのかたも、イオンシネマが謝罪コメントを出す前日、「イオンシネマによっては優しい合理的配慮のある対応をしてくださるイオンシネマもあるので、一概にイオンシネマ全体を責めないでくださいね!」ともポストしていました。

今までに3回、グランシアターを利用したことがあり、スタッフさんは親切だったともコメントされています。

以上のことから、決してイオンシネマ全体ではなく、(その支配人らしき人以外の)ほとんどのスタッフさんは、合理的配慮を心得ていた、もしくは自然にサービスマンとして、できるサービスを自然に行っていた、と考えられます。

イオングループダイバーシティ研修を行うなど、企業として積極的に ダイバーシティ・インクルージョン推進の取り組みを行っています。
ちなみに、ダイバーシティ研修の会場となっているのが「イオンシネマ」です。

「今後はこの劇場以外で見てもらえると…」は差別?

この支配人らしき人の「今後はこの劇場以外で見てもらえると、お互いいい気分でいられると思うのですが、いいでしょうか。」という対応について、SNSでは「障害者差別している」「映画館のその対応は間違っていない」と真っ向から対立する声が上がっています。

実際には、どうなのでしょうか?

結論から言いますと、これは「障害者差別」に当たります。

サービス業のサービスマンとしても、お客様対応として間違っていますが、これは「お客様が車椅子ユーザーであることを理由に排除」しています。

障害を理由に利用を断るのは、差別です。

障害者差別解消法で、映画館、お店、駅や学校などのサービス提供・公共の場では、障害者に対する差別を防ぎ、アクセシビリティを確保する義務があります。

アクセシビリティは「優遇」や「贅沢」ではなく、基本的な権利です。

内閣府は、障害者差別解消法について「障害者差別解消法は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月に制定されました。」と定めています。
内閣府の障害者差別解消法リーフレットについてはこちら

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サービス業の人は、どうしたら良い?

合理的配慮(イメージ) (出典:イラストAC)
(出典:イラストAC)

「善意」ではなく「業務」

筆者も、(映画館ではありませんが)飲食店で働いておりました。

合理的配慮の話以前に、もしこのようなケースがお店であれば、もちろんサービスマンとしてお席までご案内致します。それは「善意」ではなく、接客の通常業務です。

今回の映画館のケースなら、「グランシアター」が車椅子ユーザーが利用しづらいということなら、利用しやすいよう設備の改善をする(イオンシネマさんの今回のコメントにもありましたね)、車椅子を素人が持ち上げるのが危ないのなら、安全にお客様をご案内出来るよう、研修をする、等、「どうすれば、どのお客様にも等しくサービスの提供ができるか」を皆で考えていけば良いでしょう。

そもそも、歩いて移動するお客様にも、車椅子ユーザーのお客様にも、皆さんに不便の無いよう設計されているべきですよね。

でも、当事者でないと、それになかなか気付きません。

筆者も、飲食店で働いていた頃、筆談でご注文されるお客様、お子様連れのお客様等がご来店くださったおかげで、「マジョリティ側にいる人々」が気付けないことに気付くことができ、私たちのサービスの改善をすることができました。

ただ、お客様は「教材」ではないので…。
やはり事前に学びたかったですし、お客様に教えてもらう前に 同じように 最高のおもてなしをしたかったです。

そのためにも、サービス業に限らず全ての人々が、様々な障害についても、妊婦さんやお子様連れ、ご高齢のかた等への「合理的配慮」を学ぶ場を創ること、そしてハード面でもソフト面でも、建物はもちろん、社会の仕組みをバリアフリー設計していくことが必要不可欠ですね。

助成金の活用ができます!

事業者への、合理的配慮等の促進のための助成が出ている自治体もあります。
内閣府の合理的配慮等の促進に向けた独自事業について

本来であれば、建物は全部、車椅子ユーザーにも、店員側にも負担のかからないバリアフリー施設設計でなければならないはずです。

もし、在住の自治体に助成金制度が無ければ、事業者も利用者も(市民一緒に!)、声を上げていくのが大事ですね。

声を上げることは大事なこと

今回は、車椅子ユーザーであるお客さんがXで声を上げてくれたからこそ、これからの「従業員への教育」へと繋がりました。また、これを見た他のサービス業の方々も気付けたことで、それぞれの業務改善へと繋がることでしょう。

駅のエレベーターも、声を上げた大勢の人たちのおかげで設置されたことは有名です。

筆者は、約20年前に、某遊園地や区営プールで、赤ちゃんを乗せたベビーカーと共に優先トイレを使用した際に、スタッフの人から「優先トイレを使わないで下さいっ!」と言われた経験があります。
一般トイレの個室には、ベビーカーが入れるスペースはありません。

その時は、他に待っている人は 誰もいませんでした。
もしもその場に車椅子ユーザー・オストメイトの方やご高齢の方、小さなお子さんがいらっしゃれば、私は多少我慢しても大丈夫な身体でしたので、譲って待ちます。

「ママがトイレに入っている間、赤ちゃんの乗ったベビーカーを外に置いておくのは危険過ぎます。
また、せっかく寝入った赤ちゃんを、抱っこひもでおぶいなおすと、赤ちゃんを起こしてしまいます、おんぶしたままトイレで用を足すのは本当に大変なんです」…と、当時の私は、言えませんでした

本当に「当事者が声を上げること」というのは、それだけハードルが高いことです。

そんな中で、今回の映画館の件は、声を上げてくださった人がいたことは、映画館にとっても、ありがたいことだと思います。

1人の声があったら それは、他にも嫌な思いをされたお客様が複数いらっしゃるということ、そして大半のお客様は黙って他のお店に行ってしまわれるということなんですよね。

「苦情は、宝」と、よく言いますよね。

前述の、20年前に経験した、優先トイレの件ですが、
当時も、2000年の交通バリアフリー法、2002年の改正ハートビル法の施行に伴い、トイレのバリアフリー化は進んでいたのです。

しかしまだまだ「車椅子ユーザー以外は、使ってはならない」という認識が社会にあったのでしょう。

現在では、バリアフリートイレはベビーカーの親子も使える、という認識は定着しています。私は言えませんでしたが、これも声を上げてくれた方々のおかげだと思います。

車椅子ユーザーの不便は、以前から

実は、以前から、他の映画館でも、車椅子ユーザーが「一般客」と同等のサービスが受けられていない、という実情がありました。様々な声も上がっています。

(行くまでに階段がある)「エグゼクティブシート」のチケットが買えなかったり、多くの映画館で、車椅子席は最前列に設定されていたり…。

イオンシネマも、今後は設備改善していくでしょうし、また、これから新しく映画館を作る事業主も、もしまだ導入していなければ、これから車椅子ユーザーのための「グランシアター席」を導入していくでしょう。

世間の声は?

手でつくったハートの形 (出典:Free素材Pexelsより by Jasmine-Carter )
(出典:Free素材Pexels by Jasmine-Carter )

今回、「社会を変えていこう」という声も多くお見受けしました!

先ずは、「特権に気付くこと」から

「自分たちの特権に気付く」こと、大切なことですよね。私も、忘れがちなので、意識するように心がけています。

私も、ある側面では特権のない「マイノリティ」であり、また違う障害や病気の人にとっては、私は「特権」を持つ側であるので…

こちらは、「特権」についてイメージしやすい意見だと思います↓

もしも「車椅子ユーザーが‟マジョリティ‟な世界」だったら

例えばもし、車椅子ユーザーが「マジョリティ」な世界だったとしたら、社会は「車椅子ユーザー向け」にデザインされるでしょう。

そうなると、きっと「二足歩行の人々」には不便な所が、ところどころ出てくるでしょう。(生活の高さが違うので。)

それを、「二足歩行の人にも利用しやすいユニバーサルなデザインで創ろう、もしくは既にあるものでも、知恵を絞って、出来る限り 施設の改善や合理的配慮していこう、となりますよね。
それと同じだと思います。

ところで、「一部の障害者に〝対応″するためのコストを、〝健常者″が払っている(税金で)」といった趣旨のポストを複数見かけて、ゾッとした方も多かったことでしょう(2016年に起きた凄惨な事件の背景には、この思想があったこと、まだ記憶に新しいと思います)。

こういう認識が生まれてしまうのは、学ぶ機会がなかったこともありますが、おそらく その人自身の「生きづらさ」に起因するものだと思います。
‟健常者”・‟マジョリティ”にカテゴライズされる人であっても、生きづらい…そういう人たちへの「支援」がまた必要です。

さて、「一部の障害者に〝対応″するためのコストを、〝健常者″が払っているのではないか」という誤解を解いておきたいと思います。

「お子さん連れ」「障害者」「ご高齢者」への合理的配慮や施設のデザインには、実は、何かしら全員がお世話になっているんですよね。

赤ちゃん時代がなかった人はいませんし、人生の最後のほうで「障害者」になる方は多いです。若くても、 ある日突然病気になったりします。
(筆者自身も、てんかんを発症し「障害者」になったのは、大人になってから何十年も経った、つい昨年のことです。)

そして、逆側から考えてみましょう。
「マジョリティ向け」に出来ている今の社会システムにおいて、「様々な障害者の方々にとっては ほとんど必要が無い設備」等に対して、国は予算を割いています。

例えば「全盲の人には夜の街灯は要らない車椅子の人には階段は要らない」…こちらは、この社会がいかに「健常者」向けのデザインになっているかが解りやすいポストです↓

この、普段は意識しづらい「マジョリティ」の「特権」に気付けると、視点が変わってきますよね。

どう社会を変えていくか

まだまだ、こういったことが起きる度に「障害者がわがままを言っている」と叩かれる世の中、人権教育も必要ですが、やはり原因の一端は、同質性の高い教室で育った日本の学校システムの問題が大きいでしょう。

多数派とカテゴライズされる子どもたちにとっても、子どもたちは当然ひとりひとり違うのですから、「多数派に合わせろ」システムは、「多数派」と言われる子どもたちにとってもつらいものです。

…だから「合理的配慮」は「ずるい」となってしまうんですよね。

「全ての子」において、合理的配慮は必要です。

先ずは、日本の学校システムを1から作り変えていくことだと思います。

そもそも合理的配慮は、特別なことではなく、みんなの日常で自然に生まれてくるものなんですよね。

乙武洋匡さんのロンドンでの体験談

乙武洋匡さんは、イギリス・ロンドンで3か月暮らしていたことがあるそうです。

その頃は確かに「ハード面」でのバリアフリーは、東京の方が便利だったといいます。

にもかかわらず、車椅子ユーザーを見かけるのは、東京よりロンドンのほうが圧倒的に多かったそうです。街中を歩いていると、3ブロックに1人ぐらい。ばんばんすれ違うのだそう。(東京だと、1日に1人くらいの肌感覚で。)

乙武さんの暮らしていた 2017年当時で、ロンドンのエレベーターのある地下鉄の駅は6割ぐらいでした。

ロンドンの地下鉄
(出典:Free素材 photoAC ジョリン)
(出典:Free素材 photoAC ジョリン)

日本だと、最寄り駅にエレベーターが無い場合、遠くても、エレベーターのある隣の駅を利用するのを選ぶ人が多いけれど、ロンドンでは、そうではなかったといいます。

エレベーターの無い駅に車椅子ユーザーがいるとします。そうすると、1分も経たないうちに人が集まってきて、みんな当たり前に抱えてくれていました。それが日常の光景なんですよね。

乙武さんは、こういいます。

エレベーターというインフラはないけど、「人の助け」というインフラがあった。

だからみんな「エレベーターが無い最寄り駅」を当たり前に使えるし、お出かけも気軽にできるんですね。

田村淳のアッシュch

(乙武さんのロンドンでの体験談は、10:59あたりからです。)

田村淳さんも「本質的な多種多様に、日本はなれてない」と言います。

3年間の教員経験もある乙武さんも、子どもたちが分断されている日本の教育システムに警鐘を鳴らしていました。(9:30あたりから)

合理的配慮は 当たり前に、生まれていくもの。その環境を整える

「合理的配慮」という言葉について

「合理的〝配慮″」の「配慮」という表現も、誤解を招いて良くないと、多くの人が指摘しています。

「気遣い」や「思いやり」のニュアンスが不適当だからです。
合理的調整」と訳すのが本質に合っています。
(もしくはそのまま「合理的accommodation」のままの方が良いでしょう。)

また、「対応」という言葉も、「特別な物事に対して」というニュアンスの文脈で使うのは、違いますよね。


環境を整える

私たち人間、全ての人がひとりひとり違っているので、そのひとりひとりが、自分をマスキングすることなく ありのまま育つことができる環境を整えることが、大事です。

仕組みを、子どもたち向けに変えた学校の取り組みもすでにあります。(大阪市立大空小学校、千代田区立麹町中学校、世田谷区立桜丘中学、伊那市立伊那小学校など)

また、全ての子どもに「特別支援教育を」という議論は、国の有識者会議でもすでに始まっています。

その「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」の委員でもあった、インクルージョンの専門家・野口晃菜さんのポストを、最後にご紹介します。↓ 

野口さんのこのツリー↑ も役に立つので、事業者さんは、ぜひご一読ください。

今回の件を、決して「対決」にするのではなく、
マイノリティもマジョリティも、幸せに暮らせる社会の仕組みを、マイノリティ・マジョリティが「一緒に」皆で考えていく機会にしよう(ハードもソフトも含めて)、という流れにしていきたいものですね。

いづれ「マイノリティ」、「マジョリティ」という カテゴライズ自体が 淘汰されていくと良いし、人間の力で、きっと無くせると思います。

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