「反軍演説」内容まとめ 「削除部分」はどこで見れる?【石破さん戦後80年見解】

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石破首相が、戦後80年見解で取り上げる「反軍演説」について、解説します。

この演説には、当時(1940年)の言論弾圧で、削除された部分があるのですが、削除されている所を、どこで読めるかについても、リンクを貼っておきますね!

目次

「反軍演説」の内容まとめ

「反軍演説」とは?

石破首相が「戦後80年に関する見解」の中で取り上げる「反軍演説」とは?

【「反軍演説」とは?】

1940年(昭和15年)2月2日の衆議院本会議(帝国議会衆議院本会議)の代表質問で、立憲民政党の衆議院議員だった斎藤隆夫さんが行った、1時間半に及ぶ「質問演説」です。
泥沼化する日中戦争に焦点をあて、言論統制の厳しかった時代にも関わらず、米内政権の日中戦争に対する政策と、戦争におけるプロパガンダについて、厳しく糾弾しました。

この演説が、のちに通称「反軍演説」と呼ばれるようになります。

当時の 町田忠治民政党総裁は、斎藤隆夫さんの登壇に反対をしていました。
事前に斎藤さんを抑えようとしていましたが、斎藤さん、これを無視して登壇します!

「近衛三原則」への追及

「近衛声明なるものは事変処理の最善を尽したるものであるかどうか」
斎藤さんは、近衛声明の欺瞞性を厳しく追及しています。

「近衛声明」とは、1938年に、当時の第一次近衛文麿内閣が、対中国政策について述べた声明です。

(斎藤隆夫議員)
第一は善隣友好ということである。
第二は共同防共である。
第三は経済提携であります。

とにかくこれほど広く、これほど強く高調せられているところの戦争の目的であり 犠牲の目的であるところの「東亜新秩序建設」の実体について、政府の見るところは何であるか。

多大な犠牲者を出し、戦費が市民の生活を圧迫する中で、この「東亜新秩序建設」について、何ひとつ具体策が見えてこない、と一喝します。
日中戦争における市民の犠牲も、日中両国の和平についても、どう収束し、どう和平を促進するのか、と厳しく追及しました。

「近衛声明なるもの」について具体策はあるのか、と、斎藤さんは「総理大臣は言うに及ばず、軍部大臣においてもこの点についてご説明を」と、強く説明を求めました。

そしてまた、政府・軍のプロパガンダを「“東亜新秩序建設の原理原則”とか“精神的基礎”とか称するもの」とバッサリ。

(斎藤隆夫議員)
ここに昨年12月11日付をもって発表せられ
たる「東亜新秩序答申案要旨」というものがある。

これを見まするというと、我々にはなかなか難しくて
分らない文句が大分並べてある。

即ち皇道的至上命令、「うしはく」に非ずして「しらす」ことをもって本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、
なかなかこれは難しくして精神講話のように聞えるのでありまして、私ども実際政治に頭を突込んでいる者にはなかなか理解し難いのであります。

(斎藤隆夫議員)
一体近頃になって 東亜新秩序建設の原理原則とか精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬということは一体どういうことであるか

前半部分で斎藤さんは、市民の苦しみをうったえ、政府・軍による日中戦争「目的」の迷走を明らかにし、現実的な観点から和平をどう実現していくのか、ということを厳しく追及しました。

削除された後半部分

「私はこれより一歩を進めまして少し私の議論を交えつつ政府の所信を聴いてみたい。」と始まる、「削除された」後半部分。

削除されたのは、全体の約60%ですから、削除された部分の方が多いんですよね。

戦争では平和は得られない

斎藤さんは、現実的な観点から、アジア、ヨーロッパの例を挙げ、戦争で平和は得られないということをうったえます。

(斎藤隆夫議員)
 もしこれを疑われるのでありますならば、最近五十年間における東洋の歴史を見ましょう。

先ほど申し上げました通りに、我国はかつて支那と戦った。その戦いにおいても東洋永遠の平和が唱えられたのである。

次にロシアと戦った。その時にも東洋永遠の平和が唱えられたのである。

また平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありまするが、平和が得られましたか。得られないではないか、
平和が得られないからして今回の日支事変も起こって来たのである。

(斎藤隆夫議員)
また眼を転じてヨーロッパの近状を見ましょう。

ご承知の通りに二十幾年前にヨーロッパはあの通りの大戦争をやった。五か年の間、国を挙げて戦った戦争の結果はどうなったか。

敗けた国はいうに及ばず、勝った国といえども徹頭徹尾得失相償わない。その苦き経験に顧みて、戦争などはやるものでない。およそこの世の中において戦争ほど馬鹿らしきものはない。

それ故に未来永久、この地球上からして戦争を絶滅する。
その目的、その理想をもって国際連盟を作った。
我が日本も五大強国の一つとしてこれに調印しているのであります。
平和は得られましたか。

ヨーロッパの現状は活きたる教訓を我々の前に示しているのであります。

斎藤さんは、国際連盟の限界についても指摘していますね。

さらに、「さらに遡って過去数千年の歴史を見ましょう。」と、人類がたどってきた数千年の「戦争」について、力強く、かつ明瞭に解説されています。

(斎藤隆夫議員)
そうして一たび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直
の争いではない。
是非善悪の争いではない。
徹頭徹尾力の争いであります。
強弱の争いである。
強者が弱者を征服する、これが戦争である。
正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味でない。

過去の歴史を見て、現実を見据えるべきという、見事な演説でした。

「聖戦」プロパガンダについて一喝

日中戦争における「聖戦」プロパガンダについて、「空想」とはっきり指摘します。
現実に即して政策を立てねば、間違った方向へいく、と。

(斎藤隆夫議員)
いやしくも国家の運命を担うて立つところの実際政治家たる者は、ただ徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります。

現実に即せざるところの国策は真の国策にあらずして、一種の空想であります

政府と軍部の関係性

重慶政府との関係について、政府と軍部の間に意見の乖離がある、と指摘もしています。

(斎藤隆夫議員)
支那事変処理の根本方針について政府と軍部との間において何か意見の相違があるらしくも思えるのであります。

これは前内閣のやったことてありまして、現内閣のやったことではないのでありまするが、しかし支那事変の処理については前内閣の方針を踏襲すると言われたところの現内閣の総理大臣は、これについても相当のお考えがあるには相違ないと思いまするから、この点も併せて伺っておきたいのであります。

「国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」

斎藤さんは、政治家の罪、というものに触れ、日本が間違った方向へいくのを、必死に止めようとしました。

(斎藤隆夫議員)
この現実を無視して、ただいたずらに「聖戦」の美名のもとに市民の犠牲をなおざりにし、「共存共栄」や「世界の平和」等という雲をつかむような文字を並べたて、国家百年の大計を誤ることがあったなら、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない

この演説により、斎藤さんは衆議院議員を除名されてしまう

この演説は「聖戦を冒涜ぼうとくするものだ」と陸軍の反感を買い、斎藤隆夫さんは懲罰委員会にかけられてしまいます。

当時の衆議院議長で、同じ民政党の(「仲間」なはずの!)小山松寿氏が、この演説中に「聖戦」のところをメモに取るや、書記官長に手渡して削除を指示する、ということがおこります。

それが、議事録からバッサリと、重要なところが削除されてしまった経緯です。
議会事務局は、当初、この「大部分削除」に抵抗したのですが…現在(2025年10月現在)に至るまで、削除されたままです。

陸軍省軍務局長の武藤章や軍務課の将校たちは、斎藤隆夫さんの演説を傍聴した後、「“聖戦”目的への侮辱」と記者に語っています。

斎藤さんが懲罰委員会にかけられたのも、小山松寿氏の権限によるものでした。

斎藤さんへの攻撃は、陸軍や時局同志会、社会大衆党にとどまらず、後には海軍も加わります。

(参考:読売新聞 2025.10.8長州新聞 2018.5.1 /『戦時議会』古川隆久 著)

衆院本会議で賛成296票、反対わずか7票で、3月7日、とうとう斎藤隆夫さんは、衆議院議員を除名されてしまいます。

しかし、「反軍演説」は報道されたため、斎藤さんのもとには、多くの市民から、激励の手紙が寄せられました。

「削除された部分」どこで読める?

では、削除されてしまった部分の文章は、どこで読めるのでしょうか?

東北大学のアーカイブで読める

現在、斎藤隆夫議員の反軍演説(全文)は、東北大学のアーカイブから読むことができます。

全部で14ページあります。
6ページ以降が、削除された部分です。

国会の議事録から、今もなお削除されている部分についてですが、今(2025年10月現在)、石破首相の意向で「全文を復活させる」方向で、自民党と野党が調整しているとのこと。

帝国議会の議事録から、読めるようになると良いですね!

斎藤隆夫さんの著書にも、全文が掲載

斎藤隆夫さんご自身が書いた著書『回顧70年』(中央公論)でも、反軍演説全文が掲載されています。

ぜひ、この自叙伝も読んでみて下さい。

斎藤さんは、派閥を作らず、戦中も非翼賛を貫いた政治家です。

(※東北大学のアーカイブも、『回顧70年』(中央公論)より引用したものです。)

石破さんも訪れていた斎藤隆夫記念館「静思堂」

兵庫県に、斎藤隆夫さんの記念館があります。興味のある方はぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。

2018年には、石破茂さんもここを訪れていました。

【斉藤隆夫記念館 静思堂】

住所:〒668-0254 兵庫県豊岡市出石町中村834番地1
開館時間: 9:30~16:00
休館日:火曜日
電話: 0796-52-5643

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