早田ひな選手の「特攻資料館に行きたい」といった発言が、一部で議論となっており、そのことが、一部中国・韓国・日本メディアで報じられています。
日本では「早田選手の発言が、なぜ批判されているの?」と疑問の声が少なくなかったため、解説していきます。
なぜ、「特攻資料館に行きたい」発言が批判されているのか?
「特攻資料館に行きたい」発言の経緯
8月13日、帰国した卓球の日本代表選手が都内で記者会見を行いました。
インタビューは、おおかたが卓球の試合についての話題を中心に、選手たちが順に答える形で進みました。
記者の「1ヶ月ぶりの帰国ですが、やりたいことがあればお聞かせください。」の質問に、早田ひな選手は、こう答えています。
(早田ひな選手)「休みの期間はもちろん、腕の治療っていうのに入っていくんですけど、行きたい所としては、1つはアンパンマンミュージアムにポーチをちょっと作りに行きたいなって思ってるのと、あとは鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、自分がこうやって卓球を当たり前にできていることが『当たり前じゃない』というのを感じたいなと思って、行ってみたいなと思っています」
(参考:TBS NEWS DIG 2024.8.13 より)(17:40頃~)
この「特攻資料館」について、一部のネットユーザーから批判の声があがります。
なぜ、一部中国と韓国で問題となったのか
なぜ、一部、中国や韓国で、早田選手の言葉が問題となっているのでしょうか。
それは大きく2つの理由があります。
- 「特攻資料館に行きたい」といった早田選手の言葉が一人歩きし、日本の いわゆる「過去の戦争を賛美したい人たち」に「利用されている」こと
- 「特攻資料館」という場所について
①日本の一部のネットユーザーたちが、早田選手の言葉を「利用した」
日本のSNSの一部で「『英霊』のお陰で今の日本があり、感謝すべきということを(世間に)気づかせてくれたのは、早田選手のおかげ」「早田ひなさんのおかげか、いつもより靖国神社参拝者が多い」という趣旨の投稿が上がっています。
早田選手が行きたいと挙げたもう1つの場所「アンパンマンミュージアム」についても、無理やり「アンパンマンの『顔をちぎって食べさせる』という『自己犠牲の精神』」と結び付け、早田選手のことをたたえる投稿もありました。
早田選手にとっては、そういうふうに利用されるとは思いもしなかったことだと思います。
思わぬ とばっちりですね。
②「鹿児島の特攻資料館」について
例えば、鹿児島にある資料館のひとつに「知覧特攻平和会館」があります。
こちらは、「特攻隊」として亡くなられた多くの方々の遺品、ボロボロの戦闘機などが展示されており、悲惨な戦争を二度と起こさないように、訪れた人がそれぞれに感じることができる資料館として作られたそうです。
一方、靖国神社の遊就館でも「特攻隊」に関する展示はあり、遺品が展示されているのも似ていますが、
遊就館では、あからさまに「美談」にされる表現が使われています。
このように「資料館」の展示方法も、色々とありますが、「特攻」に関する資料館に行く、というのは、日本軍侵攻の被害に遭ってきた国の人々からすると、脅威なんですね。
もちろん、彼女は「日本軍の侵略を肯定している」わけではありませんが、これは誤解するのも、無理はありません。
そして「特攻」は、被害だけでは語れません。特攻で亡くなったのは、日本人だけではないからです。
日本軍が、無謀な作戦により、多くの日本の若者たちを死に追いやったことは確かですが、アメリカの人々も亡くなっています。
日本統治下の朝鮮半島出身者も、特攻隊員となり、亡くなりました。
韓国のメディア EDAILYでも、特攻隊の中に 朝鮮人隊員10人余りも含まれていたことを報じています。
(参考:EDAILY 2024.8.15 より)
現在、平和を祈念する場所になっていたとしても、それは世界にはあまり知られていません。
「特攻資料館」は「神風特攻隊隊員を称えるため」に、遺品や資料を展示している場所と、世界では認識されています。
その場所に行く、ということはそれだけで、侵略に遭った国の人々にとっては、不安なこと、脅威なことです。
誤解したネットユーザーたちは、さらに孫穎莎選手と范振東選手が 早田選手のフォローを外したことを見つけて、それが報道されることとなった、というわけです。
(しかし、ネットユーザーが見つけた、ということ以外、報道は見当たりませんので、彼らの友情に影響を及ぼしたとは、現時点では言えません。)
しかし、そういったネットユーザーたち というのは一部です。
また、中国メディアchubunは、「知覧特攻平和会館」について、こう報じています。
据了解,位于日本南九州的“知览特攻和平会馆”,收集了约1.4万份敢死队员的遗物。该地前身是知览空军基地,是第二次大战中数百位加入特别攻击队(神风特攻队)的年轻男子最后一次出发的地点。神风特攻队的士兵在二战期间,会用装满炸弹的飞机撞击敌舰,牺牲生命和敌方玉石俱焚。据会馆官网,该馆兴建于1975年,是为了纪念这些年轻男子的牺牲,同时藉此瞭解他们当年行动的动机,也要警醒世人战争的残酷。
(引用元:chubunより)
このように、「知覧特攻平和会館」について報道する中国メディアもあります。
批判の声は、一部のネットユーザーです。
「知覧特攻平和会館」は、実際にどんな所なのか?
実際に「知覧特攻平和会館」ホームページのトップページには、このように記載があります。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
(引用元:知覧特攻平和会館ホームページより)
特攻作戦について、はっきり「命の尊さ・尊厳を無視した戦法」と記載があります。
しかしその一方で、他の見学コース案内ページには「若き特攻隊員の英霊コーナー」と、靖国神社のように「英霊」という表現も採用していました。
来館者の声には、「悲しみや恐れを抱えていたのかもしれない」としながらも「同時に任務への意気込み,誇りも持っていたと思う」という意見や「遺書を読んで、今の自分が恥ずかしくなった」といった意見を掲載し、「特攻作戦の理不尽さ、酷さ」といった意見については掲載されていませんでした。
「英霊」と、英雄視する表現や、作戦への批判の視点が無いのは、違和感がありますね。
旅行会社の掲示板レビューの評価では、どうか?
次に、旅行会社の掲示板でのレビューです。
「平和会館に展示されている史実はとても苦しく、どうして未来がある若い方に、こんな過酷な命令を出したのかと。」
「特攻に参加したほとんどが10代から20代ということで、本人はもちろん家族の気持ちを思うと虚しさしかありませんでした。多くの人が訪れ、戦争のむなしさ、平和の大切さを感じ取ってほしいと思いました。 」
など、実際に見た人の感想では、作戦・命令の理不尽さ、悲惨さに触れられています。
(参考:4travel.jp より)
「無謀な作戦に触れていない」展示のあり方に疑問の声も
先ほどのレビューから、個々人が自由に感じることができることは、解りました。
しかし、この展示からは、平和の尊さを感じさせられることはなく、戦争賛美の施設だ、という感想もあります。
死ななくてもよい命を殺した人々がいるにも関わらず、そのことに触れないプレート。
平和を謳いながら、戦争の悲惨さを無視したプレート。
(引用元:NPOヒューマンライツわかやまより)
ここは、訪れる人によって、自由に感じることができる資料館ではあります。
遺書は、検閲されていますので、批判的なものはありませんが、その背景を想像することができます。
平和学習にも良いと思いますが、その背景を予習していった方が良いでしょう。
ただ、ご遺族が訪れていることもあると思いますので、そういったことにも配慮しながら、静かに見学しましょう。
筆者は、靖国神社の遊就館に、フィールドワークで行ったことがあります。
もちろん、遊就館における「戦時中の侵略」を賛美する展示を「批判的な視点」から見ています。
そのように人間の思考をおかしくさせていった戦争について学ぶため、実際にそういった施設を見てみることは、役立ちます。
そして「上官に検閲された文章」の遺書であっても、その裏側にある心情を感じ、決してこのような悲惨を繰り返すことのないよう考えることに繋がります。
批判をあびている靖国神社を、実際に見てみる、という学びは大事だと考えました。
もちろん、ご遺族が家族を偲んで、いらしているかもしれないことを常に考慮し、静かに見学しました。
「展示に対して批判的な視点から」見るのも、学びになると思います。
「新たな視点からの展示」も
4年前から、知覧特攻平和会館の学芸員となった羽場恵理子さんは、「新たな視点から」の展示に取り組んでいます。
そのひとつは、特攻によって被害に遭ったアメリカ側からの視点です。
特攻によって沈んだアメリカの軍艦で60人が亡くなったこと、3D解析により、5機の飛行機からの攻撃だったことが紹介されています。
(※いつも展示されているテーマではなく、3年前の企画展での展示です。)
他にも、「特攻隊員は、自分と同じような若者だった」ことを、より来館者が実感できるように、特攻隊員が遺した手紙に書かれた文字を 現代の言葉でパネルにし、手紙と共に展示しています。
(参考:NHK鹿児島放送局 2023.7.7「知覧特攻平和会館 若手学芸員が新たな視点で展示に取り組む」より)
8月15日近くだったことも背景に
批判がおきた背景として、さらに 8月15日近くだった、ということも考えられます。
日本で8月15日は毎年「終戦記念日」と報じられていますね。しかし、「8月15日」には様々な意味があります。
中国では現在、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」としていますが、最初の「全国祝日記念日休暇弁法」では、8月15日を「八一五抗戦勝利記念日」と定めていました。
韓国では、8月15日は「光復節」です。
いづれにしても、会見のあった8月13日は、8月15日近くであり、中国、韓国にとっては日本軍からの解放を思う季節であったと考えます。
早田選手は、なぜ「特攻資料館」に行きたいと言ったのか?
早田選手は、どんな経緯から、特攻資料館に興味関心を持ったのでしょうか?
そして、どうしてそれを記者会見で話したのでしょう?
結論から申し上げますと、それは早田選手ご本人にしか解りません。
ここからは推察ですが、彼女は福岡市出身のため、同じ九州にいくつかある「特攻資料館」に行ってみたいと、以前から考えていたのかもしれません。
また、九州の学校では、修学旅行で原爆資料館等に行くことが多いので、平和学習への興味関心が当たり前に根付いているともいえるでしょう。
パリ五輪が終わり、やっと自分の時間が取れるようになるため、以前から関心のあった「特攻資料館」に行ってみよう、そう答えただけかもしれません。
このオリンピックでは、パレスチナの選手団が 困難な環境の中で参加していました。
そのオリンピックに出場した早田さんは、もしかしたら私たち視聴者よりも、より平和について戦争について、考えるところがあったのかもしれません。
日本では今、スポーツを当たり前にできているけれど、それが『当たり前じゃない』国が今現在もある、そういった思いからかもしれません。
でもまさか、そういった思いが思わぬ形で、日本国内で利用されたり、一部のネットユーザーに批判されるとは、彼女は思ってもみなかったことだったと推察しています。
17歳の頃から、「戦争はなぜ終わらないのか」と考えていた早田選手
17歳の頃、すでに世界中を遠征していた早田選手は、紛争地域出身の選手がハンデを負っていることに心を痛め、戦争はなぜ終わらないのか、と考えていたといいます。
2017年、MBS・TBS系「教えてもらう前と後」12月12日の放送に、当時17歳の早田選手が出演、池上彰さんに「なぜ戦争は終わらないのでしょうか」と質問していました。
7年経って、やはり紛争地域の選手とともにパリ五輪に参加して、「世界の紛争をどうにか止めたい」の思いは変わらなかったのではないでしょうか。
ちなみに、この時の池上彰さんの答えは、簡単に答えることができない、としながら、
宗教の違いで戦争が起きるわけではなく、資源や食料、土地争いなのです、と。
逆に言えば、そういう事がないように努力することで戦争は起きないんです、と答えています。
(参考:ORICON NEWS 2017.12.19 より)
早田選手に関する世間の声は?
早田選手のSNSに「批判の声」?
早田選手のInstagramや微博(ウェイボー)には、「批判的な書き込みが増えた」と報じられています。
確かに、一部のネットユーザーによる心無い書き込みは、複数見られましたが、ほとんどが早田選手を応援する中国ファンの声でした。
祝贺 你奥运会喜得银牌
(オリンピック銀メダルおめでとうございます)
早田是个很棒的小姑娘
(ハヤタは素晴らしい女の子です)
それから、こういった声もありました。
参观那个纪念馆是理解生活和平美好,不会做那种无谓牺牲的意思。正是早田对生命的态度而且准确翻译她的意思不多
(引用元:早田選手の微博(ウェイボー)より mnbvcxmnbvさんのコメント)
そして、この mnbvcxmnbvさんのコメントにも、「同意的(私もそう思う。)」というコメントが付いています。
(参考:早田選手の微博(ウェイボー)より)
そして、前述の通り、中国メディアchubun は「知覧特攻平和会館」について「この博物館は若者たちの犠牲を祈念し、戦争の残酷さを世界に警告するための場」ということを報じていました。
日本でのニュースでのコメント欄の声
日本のニュースのコメント欄で、やはりオリンピック後の会見というものが「世界向け」であるので、(早田さんはそのつもりがないことは分かっていますが)ちゃんと考えた方が良かったと、指摘もありました。
オリンピックは平和の祭典ですね。
そこから帰国して(すぐの)会見で特攻隊は無いと思います。
ましてや毎年、この時期、靖国神社を参拝したしないで大騒ぎしているのに。
早田ひなさんほどの明晰な頭脳を持ち、特攻隊がいかなるものか理解している人が
発言する場所を間違えたと思う
「特攻資料館に行きたい」はまずかったのではないか。
せめて「特攻資料館と、中国人民抗日戦争紀念館と、アーリントン国立墓地とJEATH戦争博物館に行きたい」にしておけば…(誤解がなかったかもしれない)
(こちらのコメントは日本の方々のコメントです。)
この問題をふまえ、私たちが学ぶべきことは?
では、今回の問題をふまえて、どうすれば良いのか、についてです。
今回の問題のひとつには、「『英霊』のお陰で今の日本があり、感謝すべき」という論調の一部ネットユーザーに、早田選手の言葉が利用されたことがありました。
そして、もうひとつ。決して早田さんだけの問題ではなく、戦争経験者の孫・ひ孫世代の多い 今の日本の社会で、「特攻」について「被害者から見て加害の側面もある」という視点が欠けてしまっていた、ということがあります。
ここはやはり皆が学ぶことが大切で、それにつきると思います。
歴史を学ぶ方法は?
日中韓ユースフォーラムなどが、様々な場所で行われているので、参加して交流しながら一緒に学ぶのは、とても良いと思います。
旅行をする人であれば、前述の、中国の中国人民抗日戦争紀念館や、タイのJEATH戦争博物館の他、韓国の戦争と女性の人権博物館、といった博物館を見るのも良いと思います。
日本に居ながらでも、書籍やインターネットで学ぶことができますし、歴史のワークグループ等に参加するのも、仲間と議論をしながら学べるので、オススメです。
自分で、そういう場を創ることも、可能です。
日本の学校での歴史教育だけでは やはり不十分で、戦時中 日本軍が侵攻した歴史について学べません。
ドイツにも日本と似た「負の歴史」がありますが、日本と違うのは、平和教育を重要なカリキュラムとして、学校教育で学ぶことです。
日本のように「暗記」する学習ではなく、ドイツの子どもたちは、第二次世界大戦時の「過ち」について、どうしてこれを学ぶのが必要なのか、ということから学んでいます。
そして議論をしながら、歴史と現代の問題をつなげて学びます。
(参考:NHK 78年前の“戦争体験” 私たちが向き合う意味は?「平和教育」を考える 2023.8.14)
日本では、平和教育は、学習指導要領には位置づけられていません。
さらに、加害の歴史の記述を後退させようとする団体の運動による「教科書問題」も続いており、公教育で採択されてしまったりと、現在なお問題になっています。
特攻について…「特攻で亡くなった人のお陰で今の平和な日本がある」という論理の残酷さ
なぜ「特攻で亡くなった人のお陰で今の平和な日本がある」というのがダメなの?
今回、そういった声をSNSで見かけました。
その論理では、「今の平和な日本があるのは特攻のおかげ」となり、再度プロパガンダに使われかねません。
そして、それは「非人道的な命令をした側」の責任までも「平和のため」論理にすり替えられる危険性をはらむものです。
「特攻」の戦術を肯定または賛美するために、犠牲者の方々に対する情緒を利用すべきではありません。特攻で亡くなった、未来を奪われた若い人たちのためにも。
特攻を命じられて亡くなられた方の命に敬意を払うからこそ、賛美の対象にしてはならないということです。
特攻隊の問題は、軍部の作戦が「非人道的」だということにつきます。
二度と国が暴走しないよう、歴史検証を続けていくことが大切です。
それから、特攻を推進した大西瀧次郎 軍令部次長 本人が、特攻について「統率の外道の外道」と述べています。
まとめ
今回、早田選手の「特攻資料館に行きたい」の言葉から、一部のネットユーザーから批判があがりましたが、
一方で、早田選手の発言の意図を理解する中国のフォロワーの声や、「知覧特攻平和会館」について「戦争の残酷さを世界に警告するため、若者たちの死を祈念するための施設」と説明する中国のメディア報道もありました。
同時に、戦時中の日本軍侵略の歴史について 学べていない日本の市民が多い、といった問題も浮き彫りになりました。
早田選手の発言に限らず、こういった批判が起きたら、それに対して拒絶反応をするのではなく「なぜ批判がおきたのか」の背景、歴史を丁寧に知ろうとすることが大切です。
ハンソヒさんのインスタ投稿に対して「反日」という言葉があびせられた問題などでも、「負の歴史を学んでいないことによる齟齬」は度々起きてきました。
歴史は、同じ過ち、悲惨を繰り返さないために学びます。
これを機に、日本の負の歴史を学ぶ場を創っていかなければならないと、切に思います。
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