中学校の昼食時間に、生徒さんが校内放送で『君が代』を流し、先生から「ふさわしくない」との「指導」を受け体調不良になった、というニュースが炎上、話題になっています。
学校行事でも良く聞かれる『君が代』なのに、何故「ふさわしくない」と言われたのでしょう?
『君が代』について、調べてみました。
学校で起きたことの経緯について
この中学校の昼食の時間は、いつもポップ系の音楽を、広報委員会の生徒さんが選んで流していました。
この日(5月29日)は放送時間が余ったので、『君が代』の曲を流したのだそうです。
それを聞いた先生が、放送室に駆け込み「ふさわしくない」と「指導」、生徒さんがその場で体調不良をうったえて、学校側が早退させていたことが分かりました。
体調不良になった生徒さんのことが、本当に心配です(>_<)
世間の声は?「指導」に対しては炎上・『君が代』に対しては様々
この先生の「指導」についての詳細は明らかになっていませんが、具合が悪くなり早退するほどですから、深刻だということは判ります。
生徒さんの心の回復、学校がこの問題と向き合い、生徒が安心して過ごせる学校環境を一日も早く作ることを、願うばかりです。
ネットでの、世間の声を見てみましょう。
「指導」に対する怒りの声、そして『君が代』にも注目が集まっています。
〝ポップを流すのはOKで君が代はNGってどういう事だよ。″
〝生徒が自身の判断で自主的に、ランチタイムの余った放送時間で 曲の一つで『君が代』を流しただけでしょ いちいち目くじらを立てる方がどうよ!?″
〝誰かだけの主観による 「ふさわしくない」は 学校現場で中止や禁止に つながる過程で よく聞かれる事例ですね 俺は(私は)ふさわしくないと 思うけど同僚は?とは ならないの?″
〝感覚の違い、多様性の理解もいる。教師の問題が大きいが、逆に「ふさわしい」と論理的に説明できるのか? 君が代に関する世間の考え方にもいろいろあるという勉強になったと思うしかないね。″〝曲の長さが残り時間にピッタリだったとか?
或いは、某公共放送では一日の放送終了時に君が代が流れる(と思いましたが・・・)ので、それを真似たとか? 指導に対して体調不良に・・・? 君が代よりも気になります″
〝昼食時に君が代が流れる事が相応しいか相応しくないかは分かれる判断だと思うけど、自分は別にいいんじゃね?って思うけどな。そもそも生徒が体調不良になるほどの指導ってなんだよ。″
〝国歌が流れてる間は起立して敬意を示す為、ご飯食べる時間が減るから?″〝ふさわしくない…。確かに給食中に聞くならJ-POPのほうがいいけどね。君が代は国関係なく好きだけどな、俺は。″
Twitterより
〝「君が代」は、大指揮者のカラヤンが「クラシック音楽以外で素晴らしい曲」としてレッド・ツェッペリンの「天国への階段」と共に上げていた名曲なんですけど…″
『君が代』って、どんな歌?
オリンピックで選手が歌う「国歌」、学校でも、入学式や卒業式で歌われる『君が代』ですが、
元々は「国歌」ではありませんでした。
歌の由来
元々は、平安時代の歌集「古今和歌集」が由来です。第7巻「賀」の343番の歌で、歌詞は一部、現在のものとは異なっています。
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて こけのむすまで」
作者は「詠み人知らず」とされています。
冒頭の歌詞が、今の歌詞とは違っていますね。
「我が君」は広い意味で使われていて、「主君」というだけではなく、両親や親族、配偶者、友人なども表し、
この歌は「自分が敬愛する人への長寿のお祝いの歌」として、広く親しまれてきたのだそうです。
明治時代に、イギリス公使の日本訪問が通達され、それまでの日本には儀式で演奏する曲が無かったため、大山弥助が『君が代』を推薦、ジョン・ウィリアム・フェントンが作曲したのが、最初の『君が代』でした。
その後、フランツ・エッケルトが吹奏楽用に編曲、
1881年(明治13年)『小学唱歌集 初篇』が発行され、学校でも歌われるようになったんですね。
当時学校で歌われていた『君が代』は、2番まであったようです。
『君が代』が、法律で「国歌」と制定されたのは、1999年、平成時代なんですよね。
(「国旗国歌法」にも反対意見があり、議論されてきた経緯があります。)
『君が代』の現代語訳
現代語訳は、いくつか解釈があるようです。
恋の歌という解釈も。
「あなたの命が、千年も八千年も永遠といえる時間、小さな石が大きな岩になって、その岩に苔が生えるまで、長く長く続きますように」
「愛しいあなたよ あなたを愛する気持ちは 例えるなら小さい石が集まり やがて大きな岩の塊となり さらにそれに苔が覆いつくすように 何千年も 何万年も 変わらないでしょう」
恋愛の歌という解釈は、日本神話の神の「イザナキノミコト」「イザナミノミコト」の名前から。
イザナキの「キ」、イザナミの「ミ」が、君が代の「君(キミ)」であり、男性と女性を表し、永遠の絆を歌った歌、とも言われています。
『君が代』の問題ではなく、「学校システム」の問題。
今回の問題は、もちろん、『君が代』の取り扱いの是非ではなく、具合が悪くなるほどのダメージを与える「指導」が深刻な問題ですが、
その原因にもなっている「学校システム」の問題が浮き彫りになったのではないでしょうか。
広報委員会の子どもたちが、時間内におさめる工夫はもちろん、楽しい放送にしようと考え、主体的に活動しているなかでの、大人の一方的な「ふさわしくない」の否定は、学習指導要領で掲げる「主体的対話的で深い学び」とも、かけ離れているのではないだろうか。
『君が代』には、様々な見解があるようですが、人それぞれ。
学校でも、大人も子どもも一緒に『君が代』を題材に、「哲学対話」をしてみると、面白いかもしれません。
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